広島高等裁判所岡山支部 平成11年(行コ)1号 判決 2000年7月06日
控訴人
甲
右訴訟代理人弁護士
藤本徹
同
院去嘉晴
被控訴人
国
右代表者法務大臣
保岡興治
右指定代理人
勝山浩嗣
同
長尾俊貴
同
岡垣利幸
同
近藤英幸
同
村田剛
同
桂幹夫
同
橋本健
被控訴人
倉敷市
右代表者市長
中田武志
右訴訟代理人弁護士
石井辰彦
右指定代理人
林通保
同
三宅英昭
同
滝口卓志
同
岡崎武
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 甲事件
被控訴人国は、控訴人に対し、金五億二八一三万〇三〇〇円及び内金三億三二八九万四〇〇〇円に対する平成三年四月三日から、内金一億九五二三万六三〇〇円に対する平成三年六月一一日から各支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
3 乙事件
被控訴人倉敷市は、控訴人に対し、金八七九九万七九四〇円及びこれに対する平成三年九月一日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
5 仮執行宣言
二 被控訴人国
1 主文と同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱宣言
三 被控訴人倉敷市
主文と同旨
第二当事者の主張
次のとおり訂正、付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
1 原判決一一頁四行目の「平成二年」を「平成三年」と改める。
2 同一六頁一〇行目の「三分割説」を「控訴人一人の所得として全額課税する考え方」と改める。
3 同二〇頁二行目の「水沼検事」の次に「及び大木検事」を加える。
4 同四九頁末行の「一七条の六第二項、三項」を「一七条の六第二項三号」と改める。
二 当審における主張
1 控訴人(甲事件、乙事件共通)
(一) 過誤納金返還請求についての補充的主張
(1) 原判決は、最高裁第一小法廷昭和三九年一〇月二二日判決・民集一八巻八号一七六二頁(以下「三九年判決」といい、その判示を判例としてみるとき「三九年判例」という)を引用して、控訴人の本件修正申告についての錯誤による無効、強迫又は詐欺による取消しの主張を排斥する。
(2) しかし、正当な理由がないのに、国民の手続的な誤りを利用して過誤納された金員の返還を国、地方自治体が拒否するのは許されないし、昭和三九年ころの日本の経済状態や国の行政の考え方と現在のそれらとの間に大きな変化があるから、右判例は変更されるべきである。
(3) 仮に三九年判例を前提としても、控訴人の無効、取消しの主張は認められるべきである。
すなわち、同判決は、「確定申告書の記載内容の過誤の是正については、その錯誤が客観的に明白かつ重大であって、所得税法の定めた方法以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ、法定の方法によらないで記載内容の錯誤を主張することは、許されないものといわなければならない。」旨説示しているところ、控訴人の主張を裏付ける客観的資料が査察、捜査の段階で押収され、三分割説に基づき資産を計算した覚書及び分配確認書も控訴人から国税局に送付されていたこと、控訴人に対する所得税法違反被告事件の第二次一審において起訴状に記載の公訴事実につき訴因変更がなされたことを考慮すると、本件修正申告における錯誤は客観的に明白であったというべきである。また、国税、地方税合わせて六億七〇一二万八二四〇円もの多額の本来納付する必要のない金員を納付したのであるから、右錯誤は重大であるし、控訴人による国税通則法二三条の更正の請求等はすべて認められなかったのであるから、その是正を許さないならば、控訴人の利益を著しく害することになる。
(4) また、本件は、無効ないし取り消されるべき修正申告によって納付された六億七〇一二万八二四〇円及びその還付加算金というまことに多額の過誤納金の返還請求であるから、これを認めないと、控訴人の財産権を侵害するというほかなく、憲法二九条一項に反することになる。
(二) 国家賠償請求についての追加的主張
(1) 広島国税局の査察担当者は、本件所得は控訴人一人に帰属するという誤った先入観に基づき、十分な調査もせずに査察に着手し、控訴人に対し、控訴人一人に所得が帰属するとの考え方が正しいかのごとき誤った説明をして欺罔したり、脅して錯誤に陥れるなどしてその趣旨に沿った質問顛末書を作成するなどし、さらに、控訴人から三分割説に基づき資産を計算した覚書及び分配確認書の提出も受けていたにもかかわらず、これを無視してその内容を検討しないという重大な誤りを犯し、その結果、控訴人一人に課税すべきとして控訴人を告発したものである。したがって、右告発は、故意又は過失により誤った内容でなされたものであって、違法である。
(2) 原審において控訴人の主張した検察官の違法行為は、査察担当者の右違法な告発に誘引されたものであって、国税局の査察担当者と検察官は意を通じた一体の関係にあり、両者の誤った判断と行為が本件違法行為を構成するものである。
(3) 被控訴人倉敷市にも国家賠償法三条一項による損害賠償責任があることは、原審において述べたとおりである。
(三) 不当利益返還請求についての補充的主張
(1) 修正申告が所得税法上は有効で税法上の手続による過誤納金返還請求ができない場合でも、実質的に納税義務がない場合は、一般法、特別法の概念を度外視し、民法一条三項、九〇条の規定の精神を取り入れて、不当利得返還請求を認めるべきである。
(2) 右考え方は、最高裁昭和四九年三月八日第二小法廷判決・民集二八巻二号一八六頁(以下「四九年判決」という)においても是認されているところである。そして、同判決と近時の学説に照らして検討すると、本件で問題となっている納税に関する行為は、<1>修正申告、<2>納税行為、<3>徴収行為に分けられるところ、右の<1>、<2>については前記のとおり錯誤により無効であるが、さらに、<3>についても、平成八年九月一二日に控訴人に対する所得税法違反被告事件の第二次一審において、起訴状記載の公訴事実につき訴因変更がなされ、これに基づいて有罪判決がなされたことによって、その一部、すなわち本訴請求に係る部分が無効になったということができ、その結果、四九年判決の表現を借りれば、本件修正申告による徴収行為は「結果的に所得なきところに課税されたものとして、当然にこれに対する何らかの是正が要求されるものというべく」「既に徴収したものは、法律上の原因を欠く利得としてこれを納税者に返還すべきものと解するのが相当である」。
2 被控訴人国
(一) 過誤納金返還請求について
(1) 控訴人の三九年判例は変更されるべきである旨の主張は、どの部分をどのように変更すべきかも不明確であり、失当である。仮に確定申告、修正申告に民法九五条の適用を認めるべきであるとの趣旨であれば、所得税法の課税標準等の決定についてはその間の事情に最も通じている納税義務者自身の申告に基づくものとし、その過誤の是正は法律が特に認めた場合に限る建前とすることが、租税債務を可及的速やかに確定させるべき国家財政上の要請に適うものであるから、安易に民法九五条を適用することは相当でない。
(2) 控訴人は、控訴人の主張を裏付ける客観的資料が査察、捜査の段階で押収され、三分割説に基づき資産を計算した覚書及び分配確認書も控訴人から国税局に送付されていたこと等を根拠に、本件修正申告における錯誤が客観的に明白である旨主張するが、右の押収資料や覚書等はいずれも三分割説の正しさを明確に示すものではなく、控訴人自身も所得の帰属について供述を変遷させており、第一次一審判決と同二審判決とで判断が分かれていることからも、錯誤が明白といえないことは明らかである。
また、控訴人は、控訴人に対する所得税法違反被告事件の第二次一審において起訴状に記載の控訴事実につき訴因変更がなされたことも、錯誤の明白性の根拠として指摘するが、<1>「客観的に明白」とは税務署長にとって申告の時点において職権で減額更正すべき事情が客観的に明らかに認められるような場合をいうと解されるのであって、申告後の事情を斟酌する必要はないこと、<2>右事件は刑事事件であって、刑事事件の場合、刑罰権の存否、範囲を確定することを直接の目的とし、その認定に当たっては、証拠能力の制限や証拠の証明力の評価等に関して民事事件とは異なった著しく厳格な法規、法則が適用されるから、そこでの事実認定は民事事件におけるそれとは相違することもあり、したがって、右訴因変更は民事事件における錯誤の明白性の判断に影響を与えるものではないことに照らすと、右指摘は失当である。
(3) また、控訴人は、本件が無効ないし取り消されるべき修正申告によって納付された六億七〇一二万八二四〇円及びその還付加算金というまことに多額の過誤納金の返還請求であるから、これを認めないと、控訴人の財産権を侵害するものというほかなく、憲法二九条一項に反する旨の主張もするが、本件修正申告が無効ないし取り消されるべきものという前提自体が誤りである。そして、国税通則法五六条によって過誤納金還付の制度が設けられている以上、本件について、同制度の適用の有無について検討すれば足り、違憲性は問題にならない。
(二) 国家賠償請求について
控訴人は、広島国税局の査察担当者が控訴人を告発したことが違法であり、検察官の違法行為を誘引したものであって、右査察担当者と検察官は意を通じた一体の関係にある旨主張する。しかし、右の「意を通じた一体の関係にある」との趣旨は不明確であり、その点を措くとしても、収税官吏の告発は公訴提起の訴訟要件とはなっておらず、法的には単に捜査の端緒にすぎないのであるから、告発自体が直ちに被告発者に不利益をもたらすものではない。また、査察官の告発が検察官の認定判断を拘束しないことはいうまでもないから、査察官の告発が検察官の違法行為を誘引することなどあり得るはずがなく、したがって、広島国税局の査察官の右告発と本件修正申告との間に因果関係はない。さらに、検察官の行為に故意過失がないことは原審で主張したとおりであるから、右主張は前提において失当である。
(三) 不当利得返還請求について
(1) 控訴人は、修正申告が所得税法上は有効で税法上の手続による過誤納金返還請求ができない場合でも、実質的に納税義務がない場合は、一般法、特別法の概念を度外視して、民法一条三項、九〇条の規定の精神を取り入れて、不当利得返還請求を認めるべきである旨主張するが、所得税法上は有効でも実質的に納税義務がある場合とはどのような場合を指摘しているのか不明である。また、本件修正申告は、控訴人の自由な意思に基づいてなされたものであり、その過程において課税要件事実を自認し、修正申告による納税額等も十分検討した上でなされたものと認められるから、当然に納税義務は生じている。
(2) 控訴人は、右主張の考え方が四九年判決においても是認された旨主張する。しかし、同判決の事案は、昭和三七年法律第四四号による改正前の所得税法において、雑所得とされた貸金利息債権が課税年度以降に貸倒れとなったというものであって、権利確定主義によりいったん課税、徴収された貸金利息債権が、その時点においては正当、有効であったが、その後に生じた後発的事由により課税の基礎となった債権の貸倒れが客観的に明白になり、その結果、課税の前提を失い、徴収税額の保有の根拠を欠くに至った場合である。しかも、当時の所得税法においては、これに対する救済手続の規定が定められておらず、国税通則法も制定されていなかったから、還付金等の還付手続に関する通則的な規定も存在しなかった。したがって、四九年判決は、民法の不当利得の特則として還付金等の還付の手続に関する規定が創設されているという背景の下、申告の基礎となった事実関係について課税そのものの根拠を欠くに至る後発的事由が生じたというわけでもない本件とは事実関係が根本的に異なっており、同判決を根拠に本件を論じるのは失当である。なお、控訴人は、控訴人に対する所得税法違反被告事件の第二次一審において、起訴状記載の公訴事実につき訴因変更がなされ、これに基づいて有罪判決がなされたことを重視しており、そのことを四九年判決における貸倒れの事実と同等に評価しているように思われるが、本件の場合、刑事事件において控訴人の修正申告の基礎となった見解とは異なる解釈がなされたというにすぎず、課税の基礎となった事実自体に変化があったわけではないから、控訴人の主張は失当である。
3 被控訴人倉敷市
被控訴人国の当審における主張のとおりである。
理由
第一 当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する請求を棄却すべきものと判断する。
その理由は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決の理由説示と同じであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
1 原判決五一頁につき、末行の「第一号証、第一二号証、」を削除し、同行末尾に「第八三号証ないし第九三号証、第一〇四号証ないし第一一三号証、」を加える。
2 同五二頁一行目の「原告本人尋問の結果」の次に「及び弁論の全趣旨」を加える。
3 同五四頁八行目から九行目にかけての「その後は裏金(簿外資産)作りは中止されたが」を「それ以前から裏金(簿外資産)作りは中止されていたが」と改める。
4 同五八頁四行目の「利益が出ても」の次に「時折概括的な話がなされるだけであって」を加える。
5 同六〇頁につき、一〇行目の「甲第一号証ないし第三号証」を「第二号証ないし第五号証」と改め、末行末尾に「第七五号証、第八三号証ないし第九三号証、第一〇四号証ないし第一一三号証、」を加える。
6 同六一頁につき、一行目の「第八号証、」の次に「第一〇号証、」を、二行目の「原告本人尋問」の次に「の結果及び弁論の全趣旨」を各加える。
7 同六四頁五行目から六行目にかけての「第一次二審判決(甲第一号証)の摘示するところによれば、」を削除する。
8 同六五頁七行目の「昭和五五年九月二六日」を「昭和五五年九月二五日」と改める。
9 同六六頁七行目から八行目にかけての「単に乙が半分、原告と丙が残りの半分宛と分けたにすぎない」を「乙が約半分の八〇〇〇万円、控訴人が四〇〇〇万円、丙が残りの約三〇〇〇万円とすることで合意した」と改める。
10 同六八頁につき、一行目の「昭和五五年九月二六日」を「昭和五五年九月二五日」と、二行目の「割引債を買った理由」を「割引債を買った件について右のような金額の割り振りをした理由」と各改める。
11 同六九頁九行目の「平成元年二月三日には、」の次に「三人で裏金(簿外資産)の分配の話をした際、」を加える。
12 同七〇頁一行目から二行目にかけての「第一次一審」を「第一次二審」と改める。
13 同七二頁四行目から五行目にかけての「ただ右覚書に署名押印しただけであった」を「控訴人らからの説明を承諾して右覚書に署名押印したものである」と改める。
14 同七四頁三行目の「同年四月七日ころ」を「同年四月ころ」と改める。
15 同七九頁三行目の「約三億円弱」を「二億円弱」と改める。
16 同八〇頁につき、九行目及び一〇行目を削除し、末行の「前述したとおり」の次に「五億二〇〇〇万円余の脱税額を全面的に受け入れる決心をしたことから」を加える。
17 同八一頁一〇行目末尾に「なお、丙及び乙は、自らの所得税について控訴人からの具体的な報告なしには三分割説に従った申告をすることはできなかったところ、そのような申告はしておらず、控訴人が右修正申告に基づき納付すべき税額と確定申告に基づく税額との差額等を納付した際、丙が約四億円、乙が約六九〇〇万円を負担したにとどまった。」を加える。
18 同八三頁につき、四行目の「第一七号証」から五行目の「第六一号証、」までを削除し、同行の「第六五号証、」の次に「第六八号証ないし第七二号証、第七三号証の1ないし11、」を加え、同行から六行目にかけての「第一号証ないし第八号証」を「第三号証」と改める。
19 同九一頁につき、六行目の「昭和六二年分」を「昭和六一年分」と、八行目の「これが同年五月二二日棄却されると」を「平成四年五月二二日付けで更正すべき理由がない旨の通知処分を受けると」と各改める。
20 同九二頁三行目の末尾に次のとおり加える。
「次いで控訴人は、右各申告について、平成八年一二月九日、倉敷税務署長に対し、第二次一審判決があったことを理由として、更正の請求を行い、平成九年二月二七日付けで更正をすべき理由がない旨の通知処分を受けると、同年四月二八日異議申立てを行い、これが同年七月三〇日棄却されると、同年八月二七日に国税不服審判所長に対し審査請求をした。さらに、控訴人は、右各申告について、平成一〇年一月二〇日、倉敷税務署長に対し、右判決の確定を理由に更正の請求を行い、同年三月一八日付けで更正をすべき理由がない旨の通知処分を受けると、同年五月一一日異議申立てを行い、これが同年八月六日に棄却されると、同年九月六日に国税不服審判所長に対し審査請求をした。そして、国税不服審判所長は、平成一一年一一月三〇日付けで右各審査請求について棄却決定をした。」
21 同九二頁九行目の「2」を「(二)」と改める。
22 同九六頁につき、五行目の「本件については」から末行の「明白ということはできない。」までを次のとおり改める。
「本件においては、控訴人、丙及び乙の間の裏金分配合意は、各自の取得分の割合を決めただけで、裏金(簿外資産)が具体的にどのような形でいくら存在するか確認したり、今後の運用について話合いがなされたりした形跡はなく、裏金(簿外資産)の管理運用は、すべて控訴人独自の才覚と裁量により行われており、外形的に見ると、控訴人が自己固有の資金を投資運用しているのと同じ様相を呈していたこと、したがって、裏金(簿外資産)の運用としてなされた有価証券の売買益及び配当所得が誰に帰属するかの判断は微妙であって、裁判所も第一次一審と同二審とで判断が分かれ、弁護士、公認会計士、税理士ら専門家が控訴人に与えた助言も場面により異なっていたこと、控訴人も、必ずしも当初から一貫して三分割説を主張していたわけではなかったことを総合すると、本件修正申告に減額更正すべき事情があることが客観的に明白であったということはできない。」
23 同九七頁五行目から六行目にかけての「その当否はともかくとして、」を削除する。
24 同一〇〇頁一行目から一〇二頁九行目までを次のとおり改める。
「しかし、刑事事件において、捜査官が行った事実認定、法的評価と異なる事実認定等が判決でなされたからといって、そのことだけで捜査官の捜査及びその過程における右のような指導が直ちに違法となるわけではない。なぜなら、捜査官はその時点において犯罪があると思料するときは犯人及び証拠を捜査をするものとされ(刑事訴訟法一八九条二項参照)、逮捕・勾留もその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限り適法であり、さらに、公訴官による公訴の提起も、その段階における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば適法なのであって、捜査官等の右各時点における心証が判決時における裁判官の心証と異なり得ることは、その性質上やむを得ないことだからである。したがって、捜査官は、その時点において、各種の証拠資料を総合して嫌疑が認められれば、その嫌疑の程度に応じた捜査をすることができ、また、捜査の過程で被疑者に対し情状に関係することについて相当な方法で一定の指導をすることも許されるというべきである。
これを本件についてみると、控訴人、丙及び乙の間の裏金分配合意は、各自の取得分の割合を決めただけで、裏金(簿外資産)が具体的にどのような形でいくら存在するか確認したり、今後の運用について話合いがなされたりした形跡はなく、裏金(簿外資産)の管理運用は、すべて控訴人独自の才覚と裁量により行われており、外形的に見ると、控訴人が自己固有の資金を投資運用しているのと同じ様相を呈していたこと、控訴人も、必ずしも当初から一貫して三分割説を主張していたわけではなかったことなどの事情を総合すると、本件有価証券の売買及び配当所得が控訴人に帰属するとの嫌疑は十分認められたというべきであって、そうすると、相当な態様に止まる限り、検察官が右嫌疑があるとの心証に基づき控訴人を取り調べ、その過程において、情状に関連する修正申告について指導をしたからといって、そのことを違法であるとか検察官の過失であるとかいうことはできない。そして、検察官が右相当な態様を逸脱して控訴人を取り調べたとか右指導をしたと認めるに足りる証拠はなく、むしろ、前示のとおり、控訴人は、検察官の説得はあったにせよ、結局は、自らの自由な意思で本件修正申告に及んだ事実を認めることができるのであるから、検察官において控訴人の主張するような違法行為があったとは認められない。」
25 同一〇三頁五行目の「前記一の2で判示した」から一〇行目の末尾までを次のとおり改める。
「前記一2で判示したとおりであるから、国税通則法二三条等による是正措置のなされていない本件においては、特段の事情のない限り、本件修正申告に基づく納税が法律上の原因がないとはいえないところ、本件において右特段の事情は認められない。したがって、控訴人主張の不当利得返還請求権を認める余地はない。」
26 同一〇五頁一〇行目の「検察官の」から一〇六頁五行目末尾までを次のとおり改める。
「検察官の刑事事件の捜査における取調べあるいはそれに基づく処理において違法行為が認められないことは前示のとおりである上、控訴人主張の所得税申告額を国税当局が地方自治体に通知するとの関係があるからといって、刑事司法手続における国家公務員の行為につき、被控訴人市に不法行為責任が生じる理由はない。」
二 当審における控訴人の主張について
1 過誤納金返還請求について
(一) 控訴人は、三九年判例は変更されるべきである旨主張する。
しかし、法が申告内容を申告者の利益に変更するために更正の請求の手続を設けた趣旨に鑑みると、控訴人の指摘する事情を考慮しても、右手続によらないで確定申告書の記載内容について錯誤の主張が認められるのは同判例の指摘する例外的な場合に限るのが相当であって、同判例が変更されるべきであるとは考え難い。
(二) また、控訴人は、三九年判例を前提にしても、本件修正申告における錯誤は客観的に明白かつ重大であって、本訴による是正を許さないならば、控訴人の利益を著しく害する旨主張するが、右主張が採用できないことは、右一で訂正の上引用した原判決の説示するとおりである。
(三) さらに、控訴人は、本件が無効ないし取り消されるべき修正申告によって納付された六億七〇一二万八二四〇円及びその還付加算金というまことに多額の過誤納金の返還請求であるから、これを認めないと、控訴人の財産権を侵害するものというほかなく、憲法二九条一項に反することになる旨主張するが、本件において無効ないし取消しが認められないことは右一で訂正の上引用した原判決説示のとおりであるから、右主張は前提を欠くものであり、採用できない。
2 国家賠償請求について
(一) 控訴人は、広島国税局の査察担当者が控訴人一人に課税すべきであるとして控訴人に対する違法な告発をし、検察官の違法行為を誘引した旨の主張をする。
しかし、控訴人、丙及び乙の間の裏金分配合意は、各自の取得分の割合を決めただけで、裏金(簿外資産)が具体的にどのような形でいくら存在するかを確認したり、今後の運用について話合いがなされたりした形跡はなく、裏金(簿外資産)の管理運用は、すべて控訴人独自の才覚と裁量により行われており、外形的に見ると、控訴人が自己固有の資金を投資運用しているのと同じ様相を呈していたこと、控訴人も、必ずしも当初から一貫して三分割説を主張していたわけではなかったことなどの事情に照らすと、広島国税局の査察官が右告発をしたことをもって違法ということはできないし、また、検察官の行為が違法とはいえないことは、右一で訂正の上引用した原判決に説示のとおりであるから、査察官が控訴人の違法行為を誘発したとすることもできないのであって、右主張は採用できない。
(二) また、被控訴人倉敷市に国家賠償法三条一項による損害賠償責任があるとはいえないことは、右一で訂正の上引用した原判決に説示のとおりである。
3 不当利得返還請求について
控訴人は、修正申告が所得税法上は有効であって税法上の手続による過誤納金返還請求ができない場合でも、実質的に納税義務がない場合は、一般法、特別法の概念を度外視して、民法一条三項、九〇条の規定の精神を取り入れて、不当利得返還請求を認めるべきであり、右考え方は、四九年判決においても是認されているところであって、この考え方に基づき検討すると、本件は不当利得返還請求が認められるべき事案であるなどと主張する。
しかし、四九年判決は、権利確定主義によりいったん課税の対象とされた金銭債権が課税年度経過後に貸倒れにより回収不能になったという事案に関するものであり、しかも、その当時そのような後発的事由が生じた後に更正の請求を認める規定がなかったことから、不当利得の法理による救済が問題になったものであって、修正申告後に課税要件事実が変動したわけではなく、更正の請求の規定が整備されている中で生じた本件とは事案を異にし、その判示は本件に妥当するものではない。なるほど、本件においては、控訴人に対する所得税法違反被告事件の第二次一審において、起訴状記載の公訴事実につき訴因変更がされ、これに基づいて有罪判決が言い渡されたが、このことは、修正申告の基礎となった事実につき修正申告と異なる評価がなされたというにすぎないものであり、しかも、民事事件とは証拠法則等の異なる刑事事件における評価に関するものであるから、右判断を左右するものではないというべきである。そして、更正の請求等による是正措置が取られておらず、本件修正申告が無効であるともいえない本件において、不当利得返還請求権が認められないことは、右一で訂正の上引用した原判決のとおりである。したがって、控訴人の右主張は採用できない。
第二 よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前川鉄郎 裁判官 辻川昭 裁判官 森一岳)